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忠犬ハチ公のはなしハチ(1923-1935)

2018年04月13日更新

上野博士との深い愛情で結ばれた「ハチ」が忠犬と呼ばれるまでの物語

秋田生まれ、東京暮らしのハチと上野博士との深くて強い絆
忠犬ハチ公のはなしハチ(1923-1935)

JR渋谷駅の駅前にある「ハチ公」銅像

 東京都渋谷、JR渋谷駅の駅前にある「ハチ公」銅像。多くの人に愛されたこの銅像は日本で最も有名な待ち合わせ場所の一つといってもいいかもしれません。実際に、この前で待ち合わせをした経験を持っている人も多いことでしょう。
 この銅像のモデルになっているのは、大正12年生まれの秋田犬です。秋田県大館市大子内(おおしない)の斎藤義一宅で父・大子内山号、母・ゴマ号の間に生まれました。その当時、純系の日本犬を探していた東京帝国大学農学部教授・上野英三郎博士のもとに生後50日前後でもらわれていき、「ハチ」と名付けられました。東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)にある上野博士宅で暮らし始めたのは大正13年1月のことでした。
 ハチは上野博士に愛されて育ち、強い絆で結ばれていきます。成長したハチは、大学へ向かうご主人を渋谷駅まで送り迎えするようになりました。朝はご主人を駅まで送り、夕方には渋谷駅前でご主人の帰りを待ちました。大好きなご主人と一緒に歩く自宅と駅の間を歩くひと時は、ハチにとって楽しく幸せなものだったに違いありません。
 しかし、楽しい時間はある日いきなり終わりを告げました。大正14年5月21日、いつものようにハチに見送られた出勤した上野教授は大学の教授会の場で倒れ、そのまま亡くなってしまいました。脳溢血でした。突然の別れにハチは深く悲しみ、しばらくは食事も喉を通らない状態だったといいます。

渋谷の人たちを感動させた主人を思うハチの切ない行動
忠犬ハチ公のはなしハチ(1923-1935)

ハチ公(大館新報社:佐藤浩氏寄贈・故山本栄吉氏撮影)

 上野博士が亡くなった一家は、ハチを連れて浅草に引っ越します。その後も、8km離れた渋谷方面へ走っていくハチの姿が、頻繁に目撃されたといいます。一年経っても渋谷通いをやめようとしないハチを、代々木で暮らす馴染みの植木職人・小林菊三郎が預かるようになりました。小林宅に移っても、ハチは夕食後にご主人を迎えに渋谷駅に通い続けました。
 このハチ公の姿は、昭和7年、日本犬研究の第一人者である斉藤広吉氏によって、朝日新聞に「いとしや老犬物語」という名の記事となって寄稿されました。今は亡きご主人を7年間待ち続ける飼い犬として、一躍有名になりました。この後、多くの人たちがハチの姿をあたたかく見守るようになったといいます。渋谷駅の駅員たちも、年老い弱りはじめたハチを気遣って面倒を見るようになりました。昭和10年3月、フィラリアにかかったハチは容態を急変させ、同年3月8日早朝に、渋谷駅から離れ、孤独のうちに13年の一生を終えます。ご主人の姿を追い続けたハチの生涯は、人間でいうと90歳に相当するものでした。
 ハチの13年に渡る人生の中で、上野博士と一緒に暮らしたのは、わずか1年半でした。それでも、ハチはその後の命の全てを帰らぬご主人を待ち続けながら過ごしました。それが飼い主に忠義を尽くす「秋田犬」らしい特性として伝えられ、世界中から愛され続けています。「ハチ」は今でも、秋田犬のシンボルとして記憶の中に生きています。